道 自分史①

2023.06.30

わたしは今まで、まあまあ長い道のりを歩いてきました。

その歩みは、ときに軽く感じられたり、重かったり、走ったり、つまずいたり、転んだり、ぶつかったり、
迷子になったり、またある時は頂上が見えない大きな壁を登らなければならないような頃もありました。
また、知らずに前進していたような時もありましたが、立ち止まって全く動けなかった時というのは思い出せません、
へとへとでも、四つん這いでも、腹這いでも、進んできたような気がしています。

その、いままであまりふり返ることのなかった「道」を、その時々の風景や気持ちを思い出しながら辿っていきたいと思います。

 

●誕生

わたしは6人兄弟の末っ子として横浜の鶴見で生まれました。

父が47歳、母が41歳の時の子供でしたので、よく姉たちから、「鶴見川の橋の下から拾われてきた」とからかわれました。
母は、わたしを出産した当時、ふくよかな体格だったのと、当時としては子供を産むには珍しい年齢だったので、
姉たちは全員、母が妊娠中とは思っていなかったそうです。
わたしが生まれた日は土曜日で、昼過ぎに姉たちが学校から帰ってくると、
母から「弟ができたわよ」と言われ、みんなたまげたそうです。

 

●末吉幼稚園の思い出

末吉幼稚園は、教室から園庭へ出ると、右手に壁のような崖、左手に国道側へ切り立った崖がある、細長い造成地に建っていました。左側の崖には落下防止のフェンスがぐるりと巡らされていました。

園庭に出てすぐ右側には、丸い石積みに囲まれた、とても大きな樫の木がありました。先生に「これ何ていう木?」と聞くと、「樫の木っていうんだよ」と教えてくださったので、今でもよく覚えています。子どもの頃の私は、「カシ」と聞くと「菓子」しか思い浮かばなかったので、「なんでお菓子はなっていないのに、カシの木っていうんだろう」と不思議に思ったものでした。

その樫の木を過ぎると、先には砂場がありました。さらに細長い庭をしばらく歩くと、右側の崖の壁面に横穴がありました。先生からは、防空壕だと教えていただきました。

防空壕は、中が真っ暗で、入り口から数メートル先までしか見えず、どこまで奥へ続いているのかもわかりませんでした。地面はいつも水たまりになっていて、とても不気味で怖く、そのあたりは近寄りたくない場所でした。

 

●幼少期で最も印象的な夜

この幼稚園の入園式の数日前の夜、私が覚えている限り、物心ついてから最も感情を大きく揺さぶられた出来事がありました。

その夜、夕食を終えて家の中で一人で遊んでいると、一番年の近い姉(それでも13歳上です)が私を呼びに来ました。

「寛二、ちょっといらっしゃい」

理由も告げられずに呼ばれるのは初めてのことでした。姉に連れられて薄暗い廊下を歩き、普段は使っていない六畳の和室へ入ると、煌々と光る蛍光灯に照らされた畳の上に、半ズボンと、首元に蝶ネクタイが付いた白いシャツ、その上には、まるで人が着ているかのようにジャケットが広げられていました。

その洋服の横には、着物の上に割烹着を着た母が正座し、こちらを見ています。私は一瞬、何が起きているのかわからず、立ったままその洋服一式を見下ろしていました。

「……?」(私)

「いいでしょう! 入園式のときに着るのよ!」(姉)

そう言われた瞬間、生まれて初めて味わうほどの怒りが込み上げてきました。

「なにそれ、着ないよ。やだ!!」(私)

(黙ったまま困惑した表情の母)

「何言ってるの。すごくいいものなのよ!」(たたみ掛ける姉)

中古だと気づいた私に、姉は「葉山デパートよ!!」と言い返しました。葉山の親戚に二つ年上のいとこがいて、そこからのおさがりのことを、うちでは隠語で「葉山デパート」と呼んでいたのです。

私はますます怒りがエスカレートし、「いやーだ、やだ!! いつも着ているので行く!」と泣きながら騒いでいました。

その後の記憶は曖昧なのですが、この六畳間での出来事だけは鮮明に焼き付いていて、今でもありありと思い出すことができます。

後になって入園式の写真を見ると、その服を着ているので、最終的には大人たちの企みに乗せられてしまったのでしょう。しかし、自己理解を深めるうえで、私の「感情のルーツ」とも言えるこの場面において考えるべきなのは、あの怒りがどこから来ていたのか、ということです。

あの怒りは、ひとつの理由では説明できません。今振り返ると、いくつもの感情が重なっていたように思います。

親戚の家では子どものために新品を買えるのに、うちは買えないという現実を思い知らされた悔しさ。
私に何の相談もなく、勝手に入園式の服を親戚に頼み、夜になってから見せて言いくるめようとした大人のずるさへの反発。
敷かれたレールに従わなければならない不自由さへのもどかしさ。
そして、当時の私には、一人の人間としてではなく、「子どもは子ども」として軽く扱われたように感じた寂しさ――そんなことも重なっていたのではないかと思います。

そんな経緯があったせいか、入園式の写真に写る私は、眉間に皺を寄せ、口角を思いきりへの字に曲げ、不機嫌さをこれ以上ないほど露わにしていました。